おまえおとうさんだろ
「わたしおかあさんだから」というタグが、Twitterで話題だ。
これに対して「わたしおかあさんだけど」というタグが派生して、より前向きな方向に話が向いていると感じている。
その一方で、このタグに絡んで10代の子がツイートしていたものに「おまえおとうさんだろ」というものがあった。
曰く、
・子供と遊ばない
・飲み会に行くって黙って逃げる
・一人で寝てる
・お皿片付けない
・子供の友達の名前を知らない
・家族より自分のことばかり
・おまえも親だろ
・好きなことして好きなもの買って考えるのは自分のことばかり
なのだそうだ。
基本的には可哀想になぁと思う。
きっとあまり家にお父さんがいない家庭なんだろうなと想像は出来るが、それにしても酷くないか?
これを読んで、「おかあさん」はどう思っているんだろう?
「そうだそうだ」と思っているんだろうか?
考えて欲しい。
一般論として、多くの家庭において家計を主に支えているのはお父さんだ。
共働きの家庭もあるだろうが、家計の主軸を支えているのはお父さんである場合が多い。
(「いや、お母さんが家計を支えている家庭だってあるのだから、そうとは言い切れない!」とか言う、少数の例外で一般論を否定するような意見を聞く気はないので悪しからず。)
自分だけではなく妻と子供を含めた家計。将来的な子供の学費や家のローンや老後のことまで考えて、「やりたい・やりたくない」ではなく「家族を食わせられるかどうか」を最優先にして働くことのプレッシャーやストレスがどれほどのことか考えて欲しい。
もちろん中には
「家のこととか面倒くさいし俺は仕事好きだしおれの稼いだ金は俺のものだから、飲み会行って好きなもの買って好きにするんだ。俺の稼いだ金で生活費は賄ってるんだから家のことくらいお前らやれよ。」
というお父さんもいるにはいるだろう。
だが大半のお父さんは、家族のことを考えて嫌な上司や同僚のことも我慢し、行きたくない飲み会にも行き、子供の顔を見たくても子供より早く家を出て子供が寝てから家に帰り、子供と遊ぶ時間も持てず、疲れ果ててやっとの思いで自宅に帰ってきて寝落ちてるんじゃないだろうか?
「いや、お母さんだって働いている」という意見が出るのは自明だが、ここで言っているのは「働いているかどうか」ではなく「家計に対して主たる責任を負っているかどうか」だ。
「家計に責任を負って仕事をしている」というのと
「家計の主軸は相方に任せて、あくまでもそれを補うという範囲で『自分の好きな仕事』をしている」というのでは、負っているものの大きさがまるで違う。
「それでも自分だって仕事に対しては責任を以て望んでいるんだ!」?
いや、「仕事に対する責任」の話じゃない。
「家計に対する責任」の話です。
「自分の収入が無ければ家計は回らないんだ。自分だって家計を担っているんだ。」
「うちの家計を支えているのは自分であっておとうさんじゃない!」
こういう状況ならば家計を担うことの重さが分かるはずなので、「おまえおとうさんだろ」とはならないだろうと思います。
自分だけ好きなことして家のこととかしないで遊んでもくれないそれでも親か!
と子供が叫んでいるのは可哀想なことだと思う。
だが多くのお父さんは、おかあさんや子供の生活や将来を支えようとして頑張っているんだ。
このことを、おかあさんから子供に話してあげて欲しい。
おとうさんには話す機会がない(子供にほぼ会えないし、やっと会えた時にこんな話したくないし、何より自分自身のことを話しても言い訳っぽくしか伝わらないのが見えてるから。)。
おかあさんが話してあげないと子供には分からない。
それでは子供が可愛そうだ。
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